2012年7月8日日曜日

沖縄 戦跡、基地など見てきました。






今、沖縄や山口県ではオスプレイ配備に反対の声があがっています。 
基地問題にあまり実生活で触れない関西の住民としては、現場を見てみたいと沖縄行きを計画しました。
震災や原発事故においても、なにせ距離も遠く、映像や情報としては知ってはいますが、実際の現場はどうなのか。以前福島入りし現地での経験を通じて感じるものたくさんありました。6月議会が終わったこの機会にとNPTのニューヨーク行動でも一緒した杉並区議の金子さんと時間をあわせました。

2泊3日の日程ですが、初日は夕方に到着し、最終日は帰ることを含め、実質現地1日半の行程です。
沖縄滞在2日目 まず初めに向かったのは、戦時中日本で唯一地上戦の場となった沖縄本島の南部戦跡。地元糸満市の浦崎議員にも案内に協力いただきました。



「鉄の暴風」と呼ばれ、海から陸から空から砲撃が行われ国籍問わず20万人以上もの方が亡くなりました。一般市民が10万人以上犠牲になっています。
使われた砲弾は一人あたりに対して50発が降ったと言われ(る計算になるそうです)、当たらない方が不思議 それぐらいの惨状、戦禍であったことが伺えました。兵庫出身者もこの地で亡くなり平和の礎に刻銘されています。
浦崎さんが小さい頃は、小さな道の端にも薬きょうなどが見られたらしいです。近年でも不発弾爆発問題もあり、未だに悲惨な戦争の傷跡はいえていません。
日本各地でいろんな戦争跡や経験談を後世に残し、2度と戦争が行われないようにしていくのも私たち戦争を経験していない世代の大きな仕事だと感じました。

次に、一挙に北部へ 
目的地は東村高江。ヘリパットをつくらせないと5年間座り込みの運動を続ける方を激励へ。
道中の会話で一昨日は歌手のUAさんが5周年の報告会に来てたらしいと、2日の赤旗記事はタイムリー。 UAさん原発事故後こちらに移住し音楽活動などされてるみたいです。







次に、辺野古移設反対にも座り込みで頑張っておられる名護市辺野古へ ジュゴンの生息地で、えさの水草など藻場を埋め立てて滑走路をつくる。しかも普天間をのける代わりに。どちらもいりません。
座り込み開始からもうすぐ3000日にせまる2998日目でした。



次に、世界一危険な基地といわれる宜野湾市普天間へ
少し離れた高台から、市街と基地の位置関係が一望できます。
こんな場所で、墜落を繰り返し安全性にも問題があるオスプレイが配備されようと、すでにアメリカから輸送船が出港しています。
安全なものだったらいいとかの問題ではありません。配備すればそれに係る諸整備等で基地の存続延命にもつながりかねません。
市民の平穏で安心安全な暮らしがしたいのおもいからも米軍基地は両立しません。オスプレイ配備は国民の力でくい止めましょう。



次に北谷町
北谷町にも元々基地があったそうです。その基地跡が開発でどうなったかを見ておいた方がいいと立ち寄りました。
良し悪しは別として、今は大型ショッピングモールが入り、若い人たちでにぎわっていました。かつてはこの周辺は女性や子供が一人で歩くには危険といわれていたこともあったそうですが、現状はよくわかりました。海岸線は整備されて、遊歩道では散歩やジョギングの方や波があるとサーファーも集まってくるとのことでした。





次に嘉手納町。
ここは町の8割が基地です。滑走路が一望できる道の駅の4階へ。
この周辺でも戦闘機が墜落し、農地に突き刺さるという事故もあり、浦崎議員も当時現地に駆け付けた話も聞かせていただきました。ここも滑走路先の一方は海に向いていますが、町中にあるといっても違和感のないところでした。



色々ご協力いただきお世話になった浦崎さんと別れ、宿へと向かいました。



翌日は、恩納村、読谷村の観光地や世界遺産の座喜味城跡、チビチリガマという戦跡にもいきました。
本島他市の中学生の一年生もこの地を訪れていて、平和宣言をするなどの場にも立ち会うことができました。




自身初の沖縄訪問でしたが、きれいな自然の残るこの美ら島の歴史や基地問題含め、明と暗部にも少しではありますが触れることができました。
安保条約を無くして展望のある未来へ一層の努力をする決意がもてる男旅でした。




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