2011年11月20日日曜日

大久野島ってご存知ですか?










本日、平和委員会の大久野島ツアーに参加し行ってきました。

 この大久野島どこにあるか。いま地図サイトで調べたら出てくるとおもいます。

           そう広島県です。

うさぎの島としてテレビなんかでも有名になったとのことです。
 しかし、この島戦時中には地図からも存在を消された島だったのです。

           それはなぜか。

 検索エンジンで大久野島といれるとうさぎとは別に毒ガス資料館とでるのではないでしょうか。

 そう、ここでは、1929年世界恐慌のあった年に毒ガス兵器工場が建設され、戦時中には風船爆弾をつくるために多くの学生や市民なども動員されました。恐慌時ですから、雇用もない時でした。
 そんな折、雇用を生み出す化学工場ということで、多くの場所から手があがる状況であったとか。そんな中、この大久野島にきまり、工場ができるんだと近隣町民が喜んだというが、実態は、数少ない島の住民を簡単に追い出すことができ、誘致者がその地区の権力者、兵器をつかうための大陸に近いなどの要因があったようです。

  結果、作業中に皮膚がただれるや、今も続く呼吸器障害の被害にあうなど作業者が長期にわたり苦しんでいます。また、戦後も兵器の処理といえば、焼却や埋設、さらに太平洋に投棄などでした。この話を聞いて、今起こっている原発の話と非常に似ていると感じたのは僕だけではなかったはずです。


 安全神話や、時代背景で緘口令を引かれたり、真実を言ってはいけない社会やそのことの反省なしに風化させる社会にしてはいけないと感じたツアーでした。

さて、議会では、15,16,19日と議会報告会を開催。私は今回、仁井、釜口、岩屋地区が担当でしたが、参加していただいた市民の割合が各地区で差がありました(他の開催場所でも同傾向かと)。
 防災無線での周知すべきではないか(第一回目はおこないましたが、それ以降なされず)と市民の方にも指摘されたように、報告会の目的、周知方法、対象者の拡大など分析してやらないと本来の目的(大義名分)と乖離してしまうのではないかと思いました。
 18日に全員協議会後に行われた、関学大の松本先生の講演の際に、私が質問した回答にあったように議会が一枚岩となっての報告会などあり得ないわけですし、当局が私たち議員におこなった説明を報告会で述べるのでは、市民にとっては議会の存在意義としてはあまりにも面白味にかけるとおもいます。
 議会の広報で周知しても限られた人数しか来ないことも今回明らかになり、逆に、個人議会説明会を行って一人しか来なくても同等のものだと考えれば個人の説明会もありやな!や、これまで以上にビラや街宣含めた議会報告を独自にやることへのモチベーションが上がりました。

0 件のコメント:

コメントを投稿