2019年7月26日金曜日

今日の全員協議会②

②先ほどの続き、

 議会運営委員会(議運)の委員選出について、これまでの議運の議論で会派に属さない議員を委員として選出しないということを決め、その報告をもって議員間申し合わせ事項の内容を変更することの是非を全協で多数決で決めてしまいました。
 このやり方自体、私は到底承服できないと何度も指摘したにもかかわらず、欠席の戸田、打越議員と、私以外の賛成で決めてしまいました。
この件ではこれまでに、ビラやfacebookページでも報告したように、まず、議運でこれまでの申しあわせの要件(会派に属さない議員が2人の時は1人選出)があるのに、条例の改正の対応もせず欠員状態をつくり、その状態で今日の報告となったことに問題がまず1つあります。私はその都度都度、抗議文や要請書などで問題点を指摘しました。1回だけ、それを示しての話がありましたが、感情論で、法的論理性のある話になったとは思えません。その他の要請書等についても議論になったとの旨を議長はいわれましたが、全て傍聴しましたが、そんな議論は公式な場ではありませんでした。

 今後、少数意見を排除して議会の運営や議長諮問事項を決めるということは、議員平等の原則や、その表裏一体の過半数議決の原則もないがしろにするものです。
(※議員は性別、年齢、信条、社会的地位、議員としての経験年数その他の条件は、議会内においてすべて関係なく、発言権、表決権、選挙権等議員に認められている権限はすべて平等なものとして取り扱われる。)
(※過半数議決の原則は、多数が是とするところに道理が存在し、正義があるという前提のもとに成り立っているのであるが、この議員平等の原則が無ければ、どこに多数人の意思があるかわからなくなるものわけで、この両原則は表裏一体のものと言える)
議員必携にもある会議の諸原則を顧みず、多数決できめてしまったわけです。
 なにより、選挙で選ばれた市民の声を代表する議員の意見を、会派でないからと反映させない議会運営をすることで、市民の声が届かなくなることもでてくることが問題です。これまで議運で再三当市議会は会派制だからと理屈をつけていましたが、議会基本条例でも、会派の項目(4条)より先に議員のこと(3条活動原則)がかかれてあり、議員がなければ会派もないのです。会派は、単に政策や政治信念が一致している集団というだけであり、そこに特権などありません。

 多数決をとったから民主主義とかおかしな議論ではないですか?たまにそんなこと言う人に出会いますけど。
定足数の過半数があるならなんでもできるとなれば、淡路市議会(定数18人)の場合は、10人だけ会議に参加するようにし、何がしの理由をつけて残りの8名は排除するということを多数決で決めましたということもできてしまうことにもなります(本来はできませんけど、今回のやり方をみてると理屈の上ではそれも可能ということに)。
 今回された決定では、議員2人の意見を排除という形ですが、自分は多数派だから知らんとか、今回のおかしさにも気付かないという状態で自分の身にその火の粉がとんできた時におかしいと声をあげても、遅すぎると思います。(田中議員に関して言えば、議員としての自らの権利とその後ろにいる投票していただいた市民の声も反映されない議運になるのに、議運できめたことには従うと言い、今回の件に賛成していたので驚きました。)
 これまでの一連の件で、マルティンニーメラの言葉を思い出さずにはいられません。

“ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから 。
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから 。
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった”
 
 これを今回の件に言い換えれば、

“多数派が無会派を排除したとき私は声を上げなかった。私は無会派ではなかったから。2人会派という要件の会派であるのに、○○地域選出でないから会派要件が認めらないと決まった時、私は中心地の●●選出の議員だから声を上げなかった。いつのまにか離合集散で10人会派ができていて、4人会派の私らを排除した時、私のために声を上げるものは、誰一人残っていなかった。”

こんな例(架空の話です)になっては困る訳です。

 意見の違いこそあれど、それを出し合い議論を重ねることが大事ではないのでしょうか。会派でないからと少数の声を排除する。やはりこれはおかしいです。民主的な運営になるよう引き続き事あるごとに改善するように提起したいとおもいます。議会がこのような少数の声を排除することを認めるとなれば、市民の小さな声もそれは多数じゃないといいだし排除しかねず、特定の声しか聞かないということを露呈するということにもつながると思うのですが。
他にも様々なやり取りがありもっと言いたいこともあるのですが、この程度にしておきます。

2次行革推進方策と社協理事さんとの意見交換会については次に書きます。

今日の全員協議会①


本日7月25日全員協議会がありました。(投稿原稿かいてましたら日付かわりました)

 株式会社夢舞台の淡路サービスエリア周辺からのスマートインターチェンジの計画があり、民間事業者直結道路整備費の半分を上限に、国、市で1/4づつで無利子貸付するという制度が新設(3月29日)されたとのことで、これに合わせた対応を検討中(9月補正予算で検討)との説明がありました。
 条件として、直結路の整備費用の全部について金融機関をうけることが困難であると認められる場合などがあります。
金融機関で借りられない場合って、元の計画はどれだけ借りる予定だったんだろうか。黒字の企業のようだし、自己資金での計画で進めるとしていたのだろうと思われますが、すごいあと出し感という気もします。
無利子だというけれど、貸し付け財源は税金であるわけで、その額を金融機関に借りた場合は本来その分の利子は発生するわけで、つまり、今回のは利子分を見えない形で補給しているようなものですよね。

いろいろ質問や意見はありましたけど、市としての予算規模はその分大きくなるわけで、交付税措置の説明も特段なかったし、4指標に即時に影響出るってほどではないであろうが、その辺の質疑は今日はなかったので、もう少し調べて、補正予算で出てきたらいろいろ質問します。

2019年1月7日月曜日

「敵は、嘘。」 「嘘つきは、戦争の始まり。」

「敵は、嘘。」 「嘘つきは、戦争の始まり。」というタイトルは、本日の朝刊にのった宝島社の新聞全面広告がSNSで話題になっています。(←リンククリックで関連記事に飛びます)
「宝島社攻めてる」など反響を呼んでいるのには、過去の歴史からして、今の政治状況を憂いての危機感からではと思います。

くしくも、情報公開していた公開決定通知が本日開示されました。

経過
・・・

12月議会の一般質問では、市長がかつて天皇に直訴したという記載があった広報11月号について市長の憲法認識をただしました。
どういう記載があったかというと「明石海峡大橋、『代替、選択肢の無い国道28号線、生活道路の無料化』を、皇太子殿下に直訴した私(市長)」と記載してありました。自身の公約や政治活動のひとつとして訴えていた橋の無料化を皇族に直訴したということですので、その事実など含めて憲法4条や99条について確認したわけです。天皇は国政に関する権能はないとなっており(4条)、公務員等は当然権力が暴走しないように“憲法を尊重し擁護する義務をおう”(99条)となっています(国民への義務ではない。 あくまで政治家などに対して)。
市長は、「日本国憲法は他の法律に先行する大事なもの」としつつも、「直訴というより会話」ということの表現で直訴と使った、と言いたいようでした。また、行間の密度やユーモアを理解してれば、直訴したと読む方がおかしいといわんばかりの回答でした。
とはいえ、辞書の意味からしても直訴はみなさんが思う直訴だと考えるのが普通でしょ?
さらに市長は、「2006年にも同じ記載(皇族に直訴??)をしている」とか、「政治的な意味で発言(直訴)した印象(を受けた人がいる)というのはこの(約)15年間で初めて(私は)聞いた」といわれていました。 いまさらなぜ質問するかという認識だったのでしょうか?
・・・

ということで、2006年の広報に本当にそんなこと書いてあったのか、情報公開請求しました。
結果これ(写真:裏ページの印影がすけてて写らんようにしてます)。
市の広報には、そのような記載したものはなかったので公開できないということでした。 


2017年の9月議会でも、事実確認するために市長の答弁の真偽を確認するため情報公開しました。これもどういう内容からだったかと言うと、副市長2人制は第2回定例会で議会からの要望だったとかいう市長の本会議発言からスタートします。が、第2回の議事録見てもなし、なので当局がそのような議会からの要望書をうけとったのか?などを確認したくて公開請求したらそんな記録はなしと返ってきました。

ご飯論法とか、その場でとっさに調べようがないことを言いつくろっても、調べたら違うということになり、それをまた後日の質問で確認しないといけないのでしょうか。ファクトチェックに質問時間を無駄に削るのはやめていただきたいし、不誠実。議会側、市民が舐められたもんです。
人間間違いというのは当然あるのはあります。でも指摘されたら訂正とか謝ったり、次からはそんなこと言わないとか、じゃないですか(副市長2人制はまたしても議会からの要望と昨年3月に市長は本会議で答弁 耳を疑いました)。
意図的とか間違ってもはぐらかすとかは論外です。こんな状態がまかり通り、世の中そんなもんだろうという社会がいかに恐ろしいものか。
さらに政治不信をおこすどころか、「戦争のはじまり」とまで言われる状況になっているのでは(過去には起こった)。
この状況を打開する年にしてきたいです。

追伸:文中()内はかまづか聡が補足で書いているものです。