原水爆禁止日本協議会の2016世界大会に参加のため広島に行ってきました。
5日は、非核平和の自治体づくりをテーマにした分科会に参加、各自治体の職員さんや議員の取り組みなどのお話も伺いました。
平和首長会議への参加自治体も約94%となっていますが、どんな事業や活動が行われているか発展させられるのか、首長会議のすすめる20年までのアクションを核兵器禁止条約に向けてより具体のものとなるように、淡路からも取り組みを盛り上げていかなければ!
6日は、初めて平和記念式典にも参加させていただきました。といっても一般参加です。朝早くに到着したのですが、やはり8.6 多くの方が既に来られ、献花などされておりました。
式典はいつもテレビでしか見たことがなかったのですが、やはり現地に訪れ参加すると雰囲気は別のものでした。自身も様々な感情で現地をみれ、そして核兵器の恐ろしさ、凄まじさを改めて思い知らされ、核兵器禁止の枠組みを作っていくのは世界の人々でしかないのだと実感しているところです。広島は今回で5回(個人とか、行政視察でも来た)くらいになるのかな 普段の生活でなかなか核兵器とか当時のことに対しても考えいたらないので、時間とともに薄れてしまうってやはりあるわけですので、ここを訪れることの意味はやっぱり大事です。
(阪神淡路大震災や、東日本、新潟、九州などもしかりですね。もちろん原発事故も、非核平和自治体宣言に原発含めた新たな宣言という取り組みというのも分科会でも言われていました。)
市長の平和宣言や小学6年生2名の平和への誓いもよかったです。なにより、県知事のあいさつが個人的には一番印象に残っています。テレビで放映されてたのでしょうか?
リンク先見つけたので、はっておきます。 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/52/28heiwakinensikitentijiaisatu.html
式典のあとは、NHK広島放送局の映像イベントや資料館の横の会議場での被ばく体験者のお話などを聞きました。
NHKのイベントでしたが、中国放送の作った特集ドキュメンタリー番組”人間 中沢啓治 そして、「はだしのゲン」は生まれた”をみて、はだしのゲンが作者の実体験に基づいた物語だったのかということなどなどをしりました(聞いていたかもしれないが忘れてた)。随所で紹介されたシーンは小さいころに確かに読んだことがあったのですが、そのシーン自体におもわず涙がでてきてしまい、はだしのゲンをまた読み直してみようと思いました。
淡路市の庁舎でも今行われている首長会議の署名も行われていました。
被ばく者の方が語っておられた話や爆弾投下後の写真(爆発後は広島が一望できるぐらい建屋がほとんどなくなった)をみてみても改めてを思い出したように、71年前想像もできない惨状だったのだなとつくづく思いました。1945年以前に建てられ、爆風にもたえた鉄筋造りの建物のひとつ
署名に取り組む学生さん(中学生か高校生かな)今後も広島から出身者としても広げてほしいです。
海外からも多くの観光客が訪れていました。
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